読み鍋屋

杓子を逃げしものや何

現代は一期一会の意味が薄れつつある気がするけどやっぱり一期一会だと思う

出会いと別れの季節です。新しい人と出会える喜びがある一方で、いままで仲良くしてもらった人と離れる寂しさもある、センチメンタルな季節。でもSNSとかzoomとかのテクノロジーの発達のおかげで、別れの重みは変わってきていると思う。

電話とか手紙とかメールしか連絡手段がなかった昔は、卒業式が今生の別れになって、数十年後の同窓会が再会の場になっていたんだろうと思う。だから別れは劇的なものとなっていたと想像する。でも私に関しては、高校の卒業式も大学の寮を出たときの引っ越しも、想像していたよりはるかにさばさばしたものだった。それはきっと、facebookとかLINEとかインスタとか、引っ越したから、あるいは機種変更したからと言って、つながりが途切れにくいSNSで繋がれるようになったからだし、電波さえあればzoomで顔を見ながら話せるようになったからだと思う。つまりチャンネルが開いたままである安心感が、一期一会の意味合いを薄れさせて、自分や友人のコミュニティの移動があまり感傷的なイベントでない気にさせる。

しかし実態はどうだろう。確かに寮を出てから3年半、あるいは高校を卒業してから8年、数ヵ月空けることなくLINEとかでzoomで話す機会を持つ友人はそれなりにいる。(オンライン飲みを誘いやすくなったり、そのプラットフォームが整備されたりしたことは、コロナ禍の数少ない恩恵だと私は感じている。)でも仲良かった人でも、同じコミュニティに属さなくなってから一度話すか話さないかになってしまった人がたくさんいるし、また来年も同じイベントで会えると思っていたら、何回も延期されてしまって結局会う機会を逃し続ける人もたくさんいる。やがて、会う機会が減ってしまうだけでなくて、その人のことを思い出す機会でさえも減っていってしまう。

今年も、私自身は引っ越ししないものの、仲良くしてもらった飲み友達が引っ越してしまう。こないだ引っ越したと思った人がこの地を去ってからもう一年が経った。私の住む地に遠路はるばる遊びに来てくれて、数年ぶりに会った同級生と、インスタを交換したから(このブログも読めるようになったから笑)、まあいいかという気になって慌ただしく解散してしまったことが複数回あった。また学会とかで会えると思っていた他大の後輩が卒業して集まるのが難しくなってしまった。近くに住んでいるのに誘わないうちに、久々に会ったと思ったらもう半年以上経っている人もいた(再会できて嬉しかった)。関係性が変わって会うハードルが上がってしまった人もいた。次があると思っていたライブがもう二度と無くなってしまった。いつでも観返せると思っていたアマプラの映画がいつの間にか観られなくなっていた。そもそもまた会いたいと思った人全員と会って、観たいと思った作品を全部見返せるほど人生は長くないし、会ったり観たりできるコンディションは想像以上に整いにくい。

そうやって考えると、やっぱり一期一会という言葉の重みは大して変わらず重たいままなんじゃないか。そんなことを思った3月末。別れはちゃんと惜しもうと、誘いたい人は(うっとうしくない程度に)誘おうと、はるばる遊びに来てくれた人は歓待しようと、一緒にいる時間は目に焼き付けようと、改めて思う。

 

22/3/28提出 22/4/7公開