読み鍋屋

杓子を逃げしものや何

2022年1-2月に出会った曲たち その5:赤い公園編

はじめに

様々なアーティストの曲を初めて聴いていっぺんにヘビロテする時期が訪れた今年の冒頭2ヶ月。そこで出会った曲たちをひとつの記事で書ききろうと思ったが、アーティストやタイアップ作品ごとにそれなりの分量になったので、それぞれ一つの記事にして好きな曲をレビューしていく。これまでの4回で、それぞれOfficial髭男dism、羊文学、never young beach、五等分の花嫁&かげきしょうじょ!!を紹介してきた。全5回の最終回に満を持して登場するのは…赤い公園

津野米咲demo collection

私が赤い公園のGt.津野米咲の作る楽曲や弾くギターが好きだという話は本ブログでも何度かしてきた。赤い公園は昨年5月に解散してしまい、CDとしてリリースされたのは、フルアルバムとしては2020年4月の「THE PARK」が、シングルとしては2020年11月の「オレンジ/pray」が最後であった。もう津野さんの作った新しい曲に出会えることはない悲しみに暮れながら、私は2021年5月28日の中野サンプラザでの解散ライブを見届けた。しかしその解散ライブが映像ソフト化され、その特典に未発表曲のデモ音源4曲が入ったCD「津野米咲demo collection」がついてきた。もう一度赤い公園の新曲を聴くチャンスがやってきた!!
そうして私は2021年9月末にリリースされたBDを我が家に招き入れたのだが、当時は津野さんの一周忌を一ヶ月後に控えていたのもあり、精神的な余裕がなかった。

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私は、新しいものに立ち会う瞬間は一度しか訪れないから、アニメとかドラマとか映画とかはなるべくネタバレを避けたいし、特に好きなクリエイターの新作には、コンディションをなるべく高めた上で立ち会いたいと考えている。きっと今開封するよりもいいタイミングが訪れるだろうと思い、しばらくはタンスに眠らせていた。
そのタイミングはまず昨年末に訪れた。いずれも既に観たことのある映像だったが*1、解散ライブ本編と配信ライブの映像を観ようという気になり見届けた。いずれも素敵な場面がたくさんあって伝えたいところだが、それは本稿の本題ではないので、別稿を書く機会があればその時に取っておく。そして1月に精神状態が整い、自粛期間も再開するタイミングで色々と新しい曲を聴きたいなと思い、満を持して「津野米咲demo collection」を開封した。
アルバム全体の感想としては、赤い公園を知らない人に「人生で13分だけ赤い公園を知ってもらう時間をください」と言って聴いてもらいたくなるくらい、赤い公園の幅広さが4曲で最大限伝わってくる素晴らしい楽曲群だった。今となっては初回限定盤も売り切れてしまい、音楽のサブスク配信にも乗っかっていないので、この音源を新たに手に入れる正規の手段はなくなってしまっているのが残念だ。聴きたかったら私のところに聴きに来てください。それから発売直後に多くのファンの方がツイートしてもいたけれど、デモ音源と言うには完成度がとても高い。いまこの段落を書き始めるまでこのディスクがデモ音源だというのを忘れていた。でも確かにパートも揃っているしエフェクトもかかっているが、それは最低限のエフェクトでの生音と打ち込みだと感じる。個人的には津野さんのギターを味わえて好き。まるで名料理人は塩コショウの味付けだけの野菜炒めで素材の味の魅力を最大限引き出すかのようなギター。

オーベイベー!

まあタイトルからして楽しい曲かなと想像していたわけです。だってベイベー(ローマ字書きのbabyとは微妙にニュアンスが違う…ってわかるかな(笑))なんて相当気分いいときにしか使わないでしょう!聴いてみたら想像通りかそれ以上に楽しい曲だった。イントロのスネアの連符がまず気持ちいい。その直後にすぐギターフレーズが聴こえてきて、ああまた津野さんのギターが聴ける!ととても嬉しい気持ちになる。1番、Aメロはちょっと楽しさを出さないようにこらえているけど口角は上がっちゃってて、Bメロはちょっとずつ小出しにし始め、そしてサビで開放される雰囲気が伝わる一連の爽快感。「かわいいところ あたしにだけ 見せつけてよベイベー」って歌詞がいいなあ、歌ってる主人公もかわいいしなあ。人間誰しも可愛げを包含していると思う。それをよく発見してくれる人に見せつけてほしい。きっとこの曲の主人公はそれにふさわしい人物だから、選んでもらえるといいね。昨年のうちに出会っていたら、ラブソング特集の記事に加えていたと思う。

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すこし歌詞の内容にそれてしまったが、2番の演奏への感想に戻る。赤い公園は1番と2番で同じことをほとんどしないというのを何度か聞いたことがあるけれど、この曲も例外でなく、1番AメロBメロは基本的にベースのみで進行していた(そこにちょこちょこ挟まるギターがきれいな音色でまた好き)が、2番の同じ箇所では1番で一通り気持ちを開放したのを踏まえてか、シンセサイザーで跳ねる気持ちが表現されている。Aメロはぴょこぴょこしてて、Bメロは何回か高音から徐々に下がっていく。大サビ転調前のベンベンなってる、エフェクトのガンガンかかったギター*2も遊び心があって好きだし、その後キーが上がるのも様式美。楽しい気分になっている間にあっという間に終わってしまう。明るい時に外を散歩しながら、自分にとってのこの曲で歌われている相手を想像して、あるいは自分に対して歌われていると考えて歌ってくれている相手を想像して聴くのが一番心地よさそう。この曲を1曲めにしてくれてよかった!

MUSK

わたくしこの曲を聴くまでムスクというものを知りませんでした。なんならマスクと読むのかと思ってました。においをテーマにした歌として連想されるのはきのこ帝国の「金木犀の夜」かな。赤い公園でも「何を言う」とかもあったな。なにか五感の中で視覚が一番重要と言うか記憶に残る気がする、次いで聴覚。それはきっと視覚を記録する媒体として写真があって、聴覚を記録する媒体として音源があって、その両方を記録する媒体として動画があるからだろう。味覚に関しても、市販の既製品については、メーカーが製法を変えなければ、比較的長期間再現性のあるものを手に入れられる。触覚と嗅覚が一番再現性が低い。思い出のある場所とか人とかを写真とかVR動画とかで見ても、その場所を訪れたときの感動には勝らないのは、まあ視覚はモニターの大きさに制約を受けるというのもあるけど、香りがないからなのではないか。そのくらい、においというのは儚くて貴重なものだ。だからこそ、特定の香りを嗅いだ時に記憶がぶわっと蘇る。
って書いてて思い至ったけど、この曲は香水の歌だったね。香水に縁のない暮らしをしてきたからこういう感想に至ったんだけど、香水なら味覚と同じくらいの再現性があるのか。言われてみれば一昨年は瑛人の「香水」が流行ったんだったな。香水文化に馴染んだ人はちょっと違う感想を抱くのかな。
さて、イントロのシンセサイザーも、リバーブを少し足してるギターも、歌詞の内容も、そういったおぼろげなものを感じさせる。「もういちど出逢えたような 君の体温で華やぐムスク」って、「君」と再会はしてなくて思い出のムスクを手に入れてまとってみたってこと?それとも久々に再会できて「君」が昔と同じ香水をつけていたから初心を思い出したってこと?はたまた香水という比喩を使って「君」固有のにおいが、久々の再会で自分に近づいて香ってきた感慨にふけっているの?ああ国語力。。。でもどちらにしても主人公は、「君」に紐づいたにおいを久々に嗅いで心動かされているわけで、やっぱり前々段落で述べたようなにおいの儚さを歌っている。サビの「君の体温で華やぐムスク」のメロディとコードがラスサビだけ違うのは、津野さんの曲でもしばしば現れる様式美。

さらけ出す

3曲めでちょっと一息ついたスローテンポの曲。穏やかな曲は聴き流してしまいがちだけれど、この曲は「ぺぺぺんーぺーん \ジャージャー/ ぺぺぺぺぺーぺぺぺぺぺぺ」というフレーズのリフレインが、喉奥に引っかかった魚の小骨のように耳に残って離れない。それで気づくと癖になってこのリフレインを聴きたくなり、くり返し聴いている。曲調は割と違うものの、歌詞の内容は「凛々爛々」に通じるものがある*3。しかし曲調の違いで届き方も変わる。「凛々爛々」はその曲調の明るさで、聴く者を引っ張ってくれて元気になれる。対して「さらけ出す」は元気がなかったらなかったで良くない?みたいに、テンション低く気楽に受け止めてくれる。どっちも優しいし、どっちの優しさを受け取りたいかの気分で、どちらを聴くか選択するのも良い。あと休日の昼下がりに紅茶とともにおやつを食べ終わってソファでまどろんでいる時に聴くのが一番心地よさそう。

EDEN

この曲はとにかくかっこいい!!!「さらけ出す」からの緩急の差でより顕著に感じられるけど、遠くからなにか飛んできてすぐ近くに落ちたと思ったら、それが立ち上がって走り始めるような勢いを感じさせるイントロ。メロディの途切れるところで小休止したと思わせて気持ちいいアクセントを入れてまた再開するのは「消えない」Bメロで味わった気持ちよさを思い起こさせる。そして目まぐるしく変化していくコードとそれにピタッとついていくメロディ。サビでのディレイがかかったバチクソにかっこいいギターリフ。サビが終わったと思ったら、ちょっと調子を狂わされたと思いきや、また気づくと同じ速さで走っている間奏。最後まで目まぐるしくてかっこいい。下の記事を読んで初めて転調がたくさんされていることに思い至った。つなぎが自然でしゅごい。

note.com

それで歌詞がこの曲調に負けず劣らずかっこいいことを歌ってる。「庭先の広葉樹から落ちた実を頬張って 運命が酸っぱいことに気づいてしまったんだ」ってヤバない?!この歌詞は表題からも察されるようにエデンの園の禁断の果実のことを言っているのだと想像がつく。一応そのエピソードを貼っておくが、私もよく理解しているわけじゃないので、この旧約聖書の文脈での解釈は避けておく。

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まあ「EDEN」が理想郷であることくらいは何となく知っている。理想郷に落ちている運命の果実をかじった主人公、まあ果実をかじるときというのは通常甘いことを期待すると思うけど、甘いと思われていた運命がじつは酸っぱかった。というのは、これまで人生に抱いていた期待を打ち砕くようなことがあって、それで人生に過度な期待を持たなくなった、ということを歌っているのではなかろうか。

ここに感じられる諦念と、他人にも期待しないという事で生まれる孤独感は私の好きなTHE BLUE HEARTSの「月の爆撃機」に歌われているものと通ずるところがあると思う。こっちでは「誰の声も届かない 友達も恋人も入れない」と歌われているけど、周りに自分と楽しい時間を過ごしてくれる人がたくさんいて、充実した日々を送っている気がしていても、突き詰めればやはり人間は一人なんだ、というのが、「運命が酸っぱいことに気づいてしまった」EDENの主人公の抱いた乾いた感情とシンクロして見えた。

まあこういう解釈をするのは、自分が「人生の楽園」に寄り添える相手を求めるからなのかもしれない。一緒にいてめちゃめちゃ楽しい友達でも、その人に自分の人生を預けたり伴走してもらったりすることはできなくて、一人で走り続けないといけないというのが、私にとっての「運命の酸っぱさ」なのである。

でもそれに続く歌詞はただ孤独と諦念をまとった結末に導かれるわけではない。「追いかけっこ 鬼ごっこ 通せんぼしたって奪えやしないよ 僕らの明日はこの腕の中」。心地いい楽園に居続けていたいけど、これが幻だと気づいてしまった今となっては、いつまでも居続けるわけにはいかないから、幻でない本当の幸せを掴みに行こうとする主人公が眩しい。同じTHE BLUE HEARTSで言えばむしろ、「未来は僕らの手の中」と似たメッセージに着地している*4。運命に期待することは諦めても、自分で未来を変えて行くのだという確固たる決意がEDENの歌詞の本質で、だからこそ力強くかっこよく感じられるのではなかろうか。私も諦めずにもがいていたい。

おわりに

その1~その5まで書いてきて、他のアーティストには恐縮だが、本稿で赤い公園のことを書いているときの自分の筆の乗りように、我ながら赤い公園好きすぎるなと軽く引いた。というか津野さんの作り出す歌は、人生の描写の解像度が高すぎる。アルバムを通しで聴いてどれもよくって、この曲が一番好きかも!と思って最初から聴き直したらまたオーベイベーも最初っからめちゃ良い、え、選べないんだけど待って!!ってなる最高のdemo collectionだった。ストリーミングで聴いてもらえないのが残念。音源持ってない人に赤い公園を知ってもらうための20分を預かったとしたら、その時は「消えない - EP」を通しで聴いてもらいたい。どっちも数曲で赤い公園の幅の広さや自由さを感じてもらえる素敵なアルバム。最後の最後まで素敵な楽曲をありがとう。そして本稿執筆前後にDr.うたこすの「THE 2」加入が発表された。良い旅を!

 

22/2/24提出 22/3/29修正 22/5/28投稿

*1:厳密には解散ライブについては現地と配信の2回で、配信はおそらく違うカットが使われているので、このディスクに収録された映像と同じ映像は初めてである。

*2:だと解釈したのだけれど、打ち込みとかシンセサイザーなのかしら?

*3:凛々爛々の歌詞については以下の記事で色々考えているので、参照されたい。

yominabe.hateblo.jp

*4:「月の爆撃機」も先述の歌詞のあとに続くのは、孤独で途中で墜落してしまうかもしれないけれど薄い月明かりを頼りに飛んでいく爆撃機、という旨の歌詞で、目指すところは同じだが、より心細さに寄り添った歌詞になっている。それもまた好き。