読み鍋屋

杓子を逃げしものや何

アニメ映画「雨を告げる漂流団地」は少年少女の別れの体験を眩しく描き出す

はじめに

本業が切羽詰まっているなか、6月末に買っていたムビチケを無駄にするまいと、初めて電車に乗り私の住む鹿児島市から姶良市の映画館に行き、アニメ映画「雨を告げる漂流団地」を観に行った。感想を書き溜めたくなったので、本稿でレビューする。

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わざわざムビチケを買ってまで「雨を告げる漂流団地」を楽しみにしていたのは、監督を務める石田祐康の前監督作「ペンギン・ハイウェイ」をAmazon Primeで鑑賞し、かなり好きだったからだ。ペンギン・ハイウェイは、主人公の理屈っぽい小学生男子が、歯科助手のお姉さんと街で起こる不思議な現象を解き明かそうとする話だ。森見登美彦原作の少し変わった小説のテイストを残しつつ、主人公の身の回りに起こる不思議で素敵な体験と、それを経験する主人公の感情をみずみずしく描いていたのが私の琴線に触れた。観終わってから、石田監督の次回作は是非映画館で観たいと思っていた。そして新作の「雨を告げる漂流団地」。どうやら小学生が主人公らしい。映画館で観ない手はなかった。

あらすじと感想

以下テーマに関するネタバレ注意

さっそく感想に入る。上映が始まってからまず、主人公の小学生男子を演じる田村睦心さんの声が出てきてウルウルした。田村さんは私にとって、ここ3年で注目度が急上昇した声優さんである。初めて田村さんの声を認識したのは「映像研には手を出すな!」(2020)の金森氏。そして田村さんの名前をちゃんと記憶し、本人の動く姿も目にしたのは「小林さんちのメイドラゴン」(2017・2021)の小林さんとその関連番組だった。特にメイドラゴンは、2021年の1月にけいおん!にハマってから夏に京都アニメーションの作品を見漁る過程で出会い、そのまま2期をリアタイ視聴した作品で、その活躍は記憶に新しかった。男の子の声を演じることが多いことも小耳に挟んでいたものの、私にとって初めての男子田村さんがこの作品になったのである。好きな声優さんの新しい役柄の声を聴ける喜びってこんな感じなのか、と、今まであまり体験してきたことのなかった喜びでまず涙がにじんだ。

ちなみに他の声優の情報は全く知らずに観に行ったので、途中少し利き声優の試みもした。落ち着いた女の子を演じる花澤香菜は、確信を持つには時間がかかったものの聞き分けられた。その親友でフロリダのディズニーランドに執着心を見せる(そのバックグラウンドが垣間見えるシーンが好きだった)ツンデレの女の子は全然わからなかった。パンフレットを買って名前を見てみたら水瀬いのりでびっくりした。物語が進むにつれてキャラクターの違いが分かってくるけど、口調だけで考えれば「五等分の花嫁」の五月が二乃をやってるみたいな感覚になれるので、五等分の花嫁が好きな人はおすすめ。笑

そうした声優陣が固める主人公と同級生たち。仲良くしていたりいがみ合ったり淡い恋心をいだいていたりといった、みずみずしい彼らの様子を冒頭の数分間に目にしただけでまた涙が溜まる。なんか涙腺ゆるすぎたなワシ。笑

その先の内容は、簡単にまとめてしまうと、小学生たちが日常から引き剥がされ、外界から隔絶されて、元の世界に戻れるよう画策する。という、ストーリー上の本筋と、主人公とその幼馴染の女の子が愛着ある団地との別れを受け入れる。という2軸構成だった。私がこの作品に心揺さぶられ、期待通りのものを見せてもらえたのは後者である。

本作の舞台となるのはタイトルの通り団地である。そこは主人公の幼馴染の女の子・夏芽が、両親が離婚し母と引っ越して何年かを過ごした団地で、母親に負い目を感じ甘えることが出来なかった夏芽が、主人公のおじいちゃんに親代わりのように遊んでもらった大切な思い出が詰まった場所だった。取り壊しが決定し退去して新たな家に引っ越したものの、彼女は未練を捨てられずにこっそりと、解体現場の囲いがされて間もなく解体される団地で、静かな時間を過ごしていた。

その団地が漂流し孤島となる、という大事件が起こる。これは後々迫りくる別れに向き合うための舞台装置であったことが判明し、この作品は夏芽と団地との別れを描く作品なのだ、と中盤で気づく構造になっている。そこから別れまでと日常へ戻る流れは、展開としてはよくあるし予想もできるものだったが、期待通りの場面を適度な不安も煽りつつ見せてくれたのが良かった。

本作の好きなところ

何がそんなに良かったのかと聞かれたら、別れに立ち会う夏芽の未練が放つ眩しさだ。私は長くても6年ごとに引っ越してコミュニティをリセットしてきた経験を重ね、特にこの3年間は心の支えにできそうな人との突然の別れを何度も経験した。他にもコロナ禍で一ヶ月の生活のモチベーションにしてきた楽しみなイベントを直前に流さないといけないことが何度もあった。最初のうちはまともにダメージを受けてしまい、ひどいものでは一年くらい心が沈んだ状態をひきずっていた。でもそうした崖から落ちるような体験を繰り返していくうちに、どれだけ楽しみなイベントでも突然実現しなくなることがあるのだと心の中に予防線を張るようになり、中止になっても、まあそういうこともあるよなと立ち直るようになってしまった。崖から落ち慣れてしまったのだ。

とはいっても、そのイベントを楽しみにしていた高揚感は宙ぶらりんになり、まあ楽しく過ごしているつもりでも、活力の低下が部屋の整頓具合や自炊頻度の低下といったQOLに現れるような生活を過ごしている。精神衛生に良くないのは間違いないものの、なにかに期待しないし寄りかからないスタンスで自己防衛を図ることで、だましだまし生活を機嫌よく過ごすことは上手になってきた。でもその姿勢が相手に良くない印象を与えて結果的に次の別れを生むことも何度かあった。その別れにも、自分にとって重要な人物だったはずなのに、ダメージをあまり感じなくなってきた。そうして喪失のダメージを回避し慣れてきた自分に虚しさを感じることがたまにある。私は寂しがりな人間なのに、だんだんと一人で生きていくことに順応してしまっている気がする。たまに人間関係に投げやりになってしまう自分に気づき、このまま色んな人やものと不本意な別れを繰り返すのかもしれないという、漠然とした不安を抱えている。

そんな中に、そんな経験をほとんど積んでいない夏芽の別れを見せられてしまったから、私にはとても刺さった。夏芽は父との別れを経験し、父代わりになってくれた幼馴染みのおじいちゃんとも死別していたが、父の不在はおじいちゃんが埋めてくれ、おじいちゃんとの別れは思い出が詰まった団地がかろうじて埋め合わせてくれていたのである。いわば2つの重大な別れがキャリーオーバーして、団地との別れというイベントで3つ分一気に押し寄せてきたわけだ。きっと観ている私や他の大人にはもう想像ができないくらいの未練、別れたくなさを感じたのだと思う。それがとても眩しかった。

本作で別れの対象となるのが団地なのもよかった。最近はスマホが普及して、卒業や引っ越しを経ても今生の別れになる訳ではないことが増えてきた。そうでなかった時代の象徴の一つが団地だからこそ、夏芽の直面する別れの重たさが伝わってきた気がする。

別れについては今年の春にも少し考えをまとめて記事にしたので、興味のある方は参照されたい。

yominabe.hateblo.jp

きっとこれから夏芽にはたくさんの新たな出会いと別れが待っている。そこには団地との別れより辛いものも混じっていると思う。それを全力で受け止めて傷ついて、でも全力で受け止められる程度の頻度で、私みたいに崖から落ち慣れないように、それぞれの別れを大切にしていってほしいと願わずにはいられない。石田監督の次回作も楽しみ。自分もとりあえず今のいそがしさを抜けたらちょっと崖からの落ち方を考え直さないとな…。

追伸

最後にちょっと脇道に。一日をまるまる休日にすることは許されない状況なので、初めて訪れる場所だから捗るだろうと、上映前の4時間位をコメダで過ごした。それ自体はかなり捗ったし半券サービスのソフトクリームが美味しかったので良かったのだけど、コメダにいるうちからトイレが近くなり、映画の鑑賞後半のいいとこはほとんど集中できなかったので、対策の必要がある。笑 やはり一部のシーンが見られないリスクを取ってでも、上映中にトイレに行きたくなったら即行くべきだな。

ずとまよの主題歌と挿入歌も結構好きだったな。また新しいものを摂取できる時間の余裕が出来たら色々聴いてみよう。

映画館だけでなくNetflixでの配信もされているので是非。

https://www.netflix.com/jp/title/81328781