読み鍋屋

杓子を逃げしものや何

ドイツ出張記 その4:7-10日目 初めての平日1週間

はじめに

ドイツ出張記その4。1週間が経過しました。

2月14日 火曜日 (14. Februar, Dienstag.)

相変わらずの超早起きなので、5時台から外に繰り出してランニングをした。帰りが早いと、ちょっと遠回りしてもさっさと寝て翌朝には早起きできる。

依然時間に余裕があるので、普段乗る6番線じゃなくてちょっぴり遠回りしてみよう、と4番線に乗ってみた。(この行動が後の自らの参考になるとは露ほども思っていなかった。)

この週はプレゼンテーション準備に終始していた。最初の計画でやると話していたことが、Aさんの他の仕事が多忙であることによりなかなか進まず、徐々に焦燥感にかられ始める。まあプレゼンテーション準備は捗って、英語に徐々に慣れてきた。

いつも食堂に誘ってくれるSくんが、今日の午前中はあまり生産的でなかったよ、としょんぼりしていたので、そういう日は誰にでもあるよと伝えた。これは言わなかったけど、僕なんて1ヶ月まるまるはかどらなかったことだって割とある。そういう時期があることに諦めをつけて長く続けることが、ドクターの学生には必要だと思う。特に日本ではドクターの学生は寝る間を惜しんで研究に時間を割かなければならない、みたいなイメージがあって、多くの学生もそれを内面化している気がする。そこまで人生を研究に捧げなくても研究成果は認めてもらえるし、博士号だってもらえるから、息を詰めすぎないでほしい。

そういえば、3年間の博士後期課程の生活で、博士後期課程の生活のストイックさを垣間見た機会があった。私が確か博士後期課程の1年目を終えた頃、生協の学生生活実態調査のアンケートに回答する機会がやってきた。学部生や修士課程の院生は数人から十数人に一人が回答するこの調査は、博士後期課程はそもそも学生がとても少ないために、2~3人に1人が回答することになっていた。その中に家計について答える設問があった。支出は家賃、水光熱費、食費、娯楽費などの内訳を、収入は仕送り、アルバイト、奨学金などの内訳を聞かれた。食費のうち、お酒を伴う飲食は娯楽費に入れるようにということだった。まあたしかに衣食住の食は酒がなくても自炊と買い食いと外食で満たせるしな、道理だと思った。私は律儀に家計簿アプリを見返して回答した。数年でそこまで劇的に状況は変動しないだろうと、前回、前々回の調査結果を見て自分と比べてみた。そうしたら自分の酒代を含む娯楽費は平均の3倍に達することが判明した。笑 まあもっともそういう生活を私が送ることができたのは、鹿児島の家賃が安かったことと、先生とのいらぬ衝突を避けるために、内緒でビアバーのバイトをして飲み代を稼いで、コロナ禍の始まった2020年以降でも、自分で感染者数の基準を設定して(飲み屋の営業自粛要請が出る5日前くらいに行くのを止めるくらい)マスク会食を徹底しつつ、だましだまし飲みに出て飲み友達を増やしていた事によると思う。知り合いがいない街に降り立ってからこれだけ充実した一人暮らしができたのは、鹿児島に住んだからこそだと思う。

アパートの部屋は土足可能な部屋だけれど、靴を履いたまま過ごすのはなかなかリラックスできないので、スーパーでスリッパを買った。もこもこで暖かい。ついでに石鹸もようやく買った。これまで洗面台に備え付けてあった小さな石鹸でやり過ごしてきたが、流石にもうどうしようもない大きさになってきたので、観念してちゃんとドイツ語を調べて、これがボディソープだと確信を持って買うことができた。早速使ってみるとごっそり垢が取れる。日本から持ってきたシャンプー(メリット)はあまり泡立たないので、やはり石鹸はその土地の水に合わせて開発されたものを使うのが一番なのかなと思った。

買っていた食材を使ってようやくシュークルートを作った。全然映えない。見るほどにドイツ要素一通り煮込みだな。笑 でも記憶どおりの味に仕上がって満足。

2月15日 水曜日 (15. Februar, Mittwoch.)

目覚めると霧がかかった幻想的な景色が広がっていた。放射冷却で気温が下がり、川の水温は高いままだとこういう状態になるのかもしれない。しかしこういう状態はあまり見なかったな。昼には霧は晴れ渡っていた。

2月16日 木曜日 (16. Februar, Donnerstag.)

滞在期間中最もタフな1日だった。日本の会社の採用試験をオンラインで受ける事になったのだが、日本時間で11時30分から始めると通知された。つまりこちらの時間では夜の3時半。この時間に起きて面接を受けたと言うだけで採用してほしいものだ。笑 というのは冗談で、面接期間に海外にいながら融通をきかせてくれただけでもありがたいことだ。採用試験というのはいかに自分を都合よく見せるために建前を話せるか、とはよく言われるけれど、私はそういうのがからっきし苦手だ。無様なところも本音もなるべくさらけ出すから、その上で判断してほしいと思う性分である。なんならその姿勢を汲んでくれない人はこちらから願い下げくらいの心持ちでいる。そういう姿勢を隠しきれず、面接で要らんことを言って後悔。その後トイレで便座の前にある壁に固定された小さな棚の角に頭をぶつけた。いらん事言ったことに対してバチが当たったことにして、この仕打で許してくれー、と思った。

昼間は受け入れてもらっている研究メンバーのzoomで私の研究内容を発表した。毎週のミーティングが終わった後に設定されていたので、一人ずつの状況を面談する時間がいつもより長引いて、完全にお昼ごはんの時間に食い込んでしまった。寝不足と巻かなければならないプレッシャーで、発表は散々だった。

帰りにはいつも乗っているトラムが何故か使えなくなっていた。翌朝から始まると言われるストの前倒しか、と思ったけど、どうやらそういうわけではなさそうだった。色々うまくいかないことが重なり、メンタルがバタンキューだったので、立地のせいで多少割高だった気がするが、中央駅前でフライドポテト付きカリーヴルストを買って家で食べた。こういうときの揚げ物は染みるぜ。ちなみに後ろにぼんやり写っているBECK'Sはブレーメンのブルワリー(ビールの醸造会社)だそうだ。こっちではスーパーに売っているどのビールもだいたい美味しい。発泡酒とか第3のビールとかは存在しない。まあビール純粋令の国ですから。

2月17日 金曜日 (17. Februar, Freitag.)

いつものように大学行きのトラムに乗っていたら、途中で降ろされてしまった。仕方ないので大学方面のバスを待っていたら、日本語で話しかけてくれる人がいた!聞くとコスタリカ出身で、京都でALTを経験した方だということだった。多分向田邦子のエッセイを車内で読んでいたので日本人だと分かって話しかけてくれたのだと思う。無印のノートを持っているのを見せてくれた。たまたま研究室で食べようと持ち合わせていたガーナチョコをお礼にあげたら喜んでくれた。連絡先でも交換してディナーを誘ってみたらよかったなと少し後悔。

朝から素敵な出来事があったので、昨日の様々なことを忘れてウキウキで過ごす。そうこうしていたら、日本から国際電話がかかってきた。市外局番を見てみると、どうやら面接を受けた会社の所在地からかかってきた、つまりその会社から面接の結果を知らせる連絡が入った!胸の鼓動が早くなる。無事内々定をいただけた。よかったぁ~~いらん事言っても評価してもらえたぁ~~…!

…とまあいい出来事は色々あったのだが、この滞在で唯一計画を立てて予約すべきは予約していた週末旅行を前にしておきながら、夕方はあまりテンションが上がらなかった。そうだ、私は一人旅というのが苦手なのだった。一人で行動するのが心細いとかではないのだが、その場で起こる出来事を誰かと共有したい、しないとなんだかテンションが上がらないのである。2015年の夏に初めて長期の海外旅行をした時に、2人でドイツに入国した数日後に解散し一人旅に移行したのだが、それで初めて一人で降り立ったウィーンの寂しさと言ったらなかった。カフェザッハーのあるウィーン位置の大通りでひとりTHE BLUE HEARTSを口ずさみながら歩いた。国内でも一人で過ごすことはあまり好きではないのに、海外では日本語が聞こえてこないからなおさら無理である。そんなことを思いながら、翌朝に向けて準備をしていた。

スーバーに向かう道中で見かけた建物への落書き。明らかに子供が書いた跡。かわいい。笑

こちらのスーパーには芽キャベツが普通に並んでいるのが、日本ではめったに見ないので珍しいと思った。鹿児島でしばしば行かせてもらっているビアバーに「芽キャベツとベーコンのソテー」というメニューがあったのを思い出し、そのビアバーに思いを馳せながら作ってみた。何か苦味というかエグ味が残ってしまい、会心の出来にはならなかった。またあの会心の芽キャベコ(とひとり心のなかで呼んでいる)を食べたいな、と思ったのだった。これも何か寂しさを増幅させる一つの要因だったかもしれないな。

おわりに

こうやって振り返ってみると、何も大きな出来事がなかったと思っていた日にも、カメラロールを見返すと何かしら記憶に残る瞬間があって、飽きのない生活を送らせてもらっているなと思った。幸せ。ドイツを出る目まぐるしい週末旅行編に続く。