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杓子を逃げしものや何

ドイツ出張記 その7:14-17日目 スイス・ジュネーブ出張編

2月21日 火曜日 (21. Februar, Dienstag.)

2日間のブレーメン滞在のみでジュネーブへ向かう夜行列車に乗る。この列車はスイス国内まで乗り換え無しなので、遅れる心配があまりない。ちょうどいい時間に発着してくれるものだ。リクライニングのあまりきかない座席に座った。少し家族連れの声が聴こえるのと、充電ケーブルをさすためのプラグが見当たらなかったので別の座席を探しに行ったところ、隣が寝台車だった。Aさんが車掌さんに訊いてくれたところ、どうやら2等の通常の乗車券で乗って良いそうだ。というわけで初めて横たわれる夜行列車に乗ることができた。楽しい。暗くして少し作業をした後に寝た。というかあまりたくさん寝ることはできなかった気がする。ジュネーブ大学で訪問する研究室は私の研究分野で最前線を行く研究室であり、発表で何を言われるだろうと緊張していたのも、なかなか寝付けなかった理由のひとつである。

この通路がいかにも寝台列車という感じで好き。

2月22日 水曜日 (Mercredi 22 février)

(フランス語の曜日は惑星の名前と近いらしい。水曜日は水星mercuryに由来している。)

ブレーメンを出発した列車は朝8時過ぎにスイスのバーゼルに到着した。バーゼルは2018年末に訪れた街で、それから4年ぶりにホームに降り立ったので何か感慨深かった。ちょっと駅構内の端から端まで行ってみたいな、なんてAさんに言ったら、どうやら駅の外を散歩すると勘違いされたらしく、乗り換え20分弱で散歩するのはやめておいたほうがいい、とたしなめられた。Aさんにとってはこの出来事がよほど印象的だったようで、後日駅で同じくらいの待ち時間が発生する度に、じゃあちょっと散歩してこようか、と冗談を言っていた。笑

しばし列車に揺られていると、レマン湖とぶどうの果樹園が窓の外に広がった。これぞ風光明媚!!

昼前にジュネーブに着いて街をぶらぶら歩く。Aさんの旅費がAさんの研究室からは出ないとのことだったので、定額で支給される私の宿泊費の余った分から鉄道料金と宿泊代を捻出することにしたんだけれど、支払いサイトのエラーで鉄道料金を払えなかったので、立て替えてもらった分の料金を食事代で相殺することにした。

中東風のラップをたべる。美味しい。お店の人に「メルシーボクー」と挨拶したことでフランス語圏にやって来た実感が湧いた。ちなみにフランス語圏の人々は英語が話せる人でも英語で応答してくれない街がほとんどだそうで、ジュネーブは人々が英語で話してくれる数少ないフランス語圏の街である、とAさんが教えてくれた。

ジュネーブレマン湖の最下流の街である。巨大な噴水がジュネーブのランドマークであるようだ。湖畔を歩いていると、チューリッヒ保険会社を目にした。私の愛車がお世話になっております、とつぶやいておいた。

レマン湖の水がとにかく透き通っていてきれいだった!

レマン湖からしばし歩いて、研究室に到着した。元々この研究グループは私が論文で多数の先行研究を引用しているなど、今回の滞在で最も関わりのある重要な研究グループで、そのグループ長を務める教授は厳しい方だと聞いていたのでだいぶ緊張していた。しかし、その教授が不在な初日にドクターの学生やポスドクの研究員の方に仲良くしていただいたおかげで、緊張をほぐすことができた。日本の漫画やアニメが好きだというポスドクの研究員Jさんにフレンドリーに話しかけてもらった。「うちの指導教員の先生が来年には退官するんだよ」「後釜は誰か決まっているの?」「まだ決まってないと思う」「君かい?」「それは絶対にない!!笑」みたいなやり取りをして緊張がほぐれた。最近あった国際学会で、空港のトラブルのせいで、トランジット先で数日足止めを食らう人たちがいたという話を研究室の中で参加した研究者の方から聞いていたので、この研究室でもいくらか苦労があったか?と聞いたら、”いくらか”?笑 と反応され、誰々はこの空港で足止めを食らった、みたいな話を一通りしてもらった。実験装置も見せてもらった。

研究グループのメンバーが著者になっている論文の一覧を張り出した掲示板があった。左上から右下に行くにつれて古くなるらしい。

バーでみんなで飲む。ピコンというオレンジテイストのリキュールをビールで割るのが、フランス語圏の(だった気がするけどうろ覚え)安価なバーの定番らしい。全部奢ってくれた。

だいぶ出来上がった状態でAさんとラーメン屋に向かう。このお店には一番搾りが置いてあったが、日本に帰るまでは日本のラガーを飲むのは我慢しようと思い、コエドビールを飲んだ。

締めのラーメンは3,000円した。スイスは物価がばか高いが、日本食の付加価値も相まって、こんな値段になっていた。普通に美味しかった。スープを完飲したおかげで翌朝二日酔いを引きずる羽目にならずに済んだ。

2月23日 木曜日 (Jeudi 23 février)

この日はいよいよ昼間に教授と初対面である。電車が遅れて予定時間よりも発表開始が遅れてドキドキした。発表。教授からこてんぱんにコメントを貰う。必要十分なコメントをズバズバとくれたので、やっぱりすごい先生なんだなと思った。険しい顔で"If I were you," を連発されたので気圧されてしまったが、帰りの列車でAさんとちゃんと内容を確認し合ったら、どうやら発表内容をジャーナルに投稿してリジェクトされるほどの否定ではないようで一安心した。もっと英語が話せればちゃんと反論できたと思う。次にあったときにはちゃんと答えられるようになりたい。しかしこてんぱんにコメントを貰ったということはちゃんと内容が伝わったということだ。そういう点ではこの出張中で最も出来の良い発表だったと思う。発表を終えた後は発表内容や、それに関連した彼らの研究内容について、ポスドクの研究員の方々と議論した。少しビジョンが見えた気がした。

議論の間、Aさんが論文を一通り読んでコメントを返してくれた。一通り議論を終えてゆったりと夕食を待っていたら、いきなりahamoの速度制限を宣告された。いや、実際には5日前に予告のSMSを受け取っていたのだが、完全に見逃していた。国外では国内と同じようにローミングを使用できる、という触れ込みだったが、実は出国から2週間経過すると速度制限がかかるということだったのだ。長期滞在ならSIMカードなり新しいスマホなりを買ってしまえばいいけど、2週間以上の中期滞在には数万円の出費は痛い。私は速度制限で残り3週間を戦う道を選んだ。

夕方は再びバーに飲みに行った。教授も同行して、全額払ってくれた。ポスドクのお兄さんが教授のところに行ったら、あなたはお金を出すには若すぎると言われたとのことだった。笑 こういう場に教授が混ざる文化はいいなと思った。生のマッシュルーム、日本では食べないから不思議な感覚だと話したら、ヨーロッパでは卵を生で食べることがないから変に感じるとか、私の住む鹿児島ではさらに鶏肉を生で食べる文化もある、なんて話をして、そっちのほうがよっぽど変わっているという反応を受けた。おっしゃる通りだ。笑

2軒目でチーズフォンデュをごちそうしてもらった。密閉空間でそわそわする。でもスイスの人たちは本当に1人もマスクを付けていなかったので、もはや諦めていた。チーズフォンデュは美味しかった。

チーズフォンデュの「フォンデュ」は「溶けた」という意味らしい。フランス語だとおしゃれに聞こえていたが、そう言われたらたいしたことないように感じた。笑 何ならチーズフォンデュという言葉は英語+フランス語という点でカレーパンの仲間じゃないか、なんてことにも思い至った。笑

2月24日 金曜日 (Vendredi 24 février)

ジュネーブ最終日の朝。2晩ともごちそうしてもらったので、それに近い額のパウンドケーキとエスプレッソマシンのカートリッジを買っていくことにした。

アパートに鳩ネットがついているのを見つけて、Aさんとキジバトの話をした。鳴き声が和むから、と私にとっては一番好きな鳥なのだが、彼にとってはベランダにやってきて朝起こされる悩みのタネだったのであまり好きではないとのことだった。

お昼時に研究室を出発した。そんななか父の会社から国際電話がかかってきていた。何かあったのか父にLINEで尋ね、しばし連絡を待っていると、母から出張先で倒れて救急車で運ばれた旨の連絡を受けた。週末にサッカーをして体を動かしているし、ほとんど病気をしたこともなかったので、まさか父が倒れるとは思ってもみなかった。その先のことについて色々と悪い想像をして、引越し先が今より実家に圧倒的に近くて良かったな、とか、去年からようやっと経済的に自立できてよかったなと思った。まあ情報がほとんどない中でただ不安を募らせたところで、私は今すぐに駆けつけられるわけでもないし、この街にいられるのは今日限りだと、努めてその街の滞在を楽しむことにした。後ほど、てんかんと診断されたとのことだった。命にかかわるわけではないそうなので一安心だった。

ジュネーブ駅に歩いて向かい、共通の友人のつてで先月日本の私のアパートに泊まりに来たスイス人Mさんと1ヶ月ぶりに再会した。AさんとMさんは英語が流暢に話せるので、私はほとんど聞き役に徹していた。

2人での英会話はだいぶ慣れてきたものだが、大勢いて大半のメンバーが私より英語が流暢だと、もう会話に入り込んでいけなくなってしまう。それで大勢いる場は楽しいけれど、特に自分以外全員がドイツ語を話せるため、実質的に私が会話に加われるようにするために英語で話してくれているときなんかは、聞いて理解することはできても会話に混ざることができなくて申し訳ないな、という気分になる。そういうわけで(特に大人数の時に)英語で話す元気がだんだんなくなってきた。言語が変わると性格が変わることがある、と誰かと話したが、私の場合は言いたいことが思い浮かんでも、十分に伝える能力がなさそうだと判断すると口をつぐんでしまうので、日本語で話すよりも内向的な人間になってしまいがちだ。それでも変わらない様子で話してくれたり誘ってくれたりする(特に研究室の)人々は優しいなと感じていた。

中央駅の壁画。すべての道はジュネーブに通ず、的な?

噴水を間近で見た。きれいな虹が出ていた。

噴水ビュースポットから対岸の建物を眺めていたら、その奥に山脈が見えた。美しい…!!

スイスと言えばスウォッチであるので、ジュネーブで最も大きなスウォッチのお店を訪れた。日本人の店員さんも居た。ジュネーブ限定モデルがあるよ、と言われたので、スイスの国旗デザインにも惹かれたが、こちらを選んだ。右は昨年6月に原宿で買った初めてのスウォッチ

yominabe.hateblo.jp

Mさんは食通で、私の家に泊まりに来たときにも、動物性たんぱく質は卵だけだったのに非常に満足度の高い夕食を作ってくれた。そんなMさんがおすすめのチョコレート屋さんを紹介してくれた。めちゃめちゃ美味しかった。ここにカフェが併設されていたらまったりしたかったなあ。

国連欧州本部も訪れた。ウクライナ戦争から1年と1日が経った日だったので、思いを馳せずにはいられなかった。

少し早めの夕食を駅近のカフェレストランで食べた。ここはMさんのおばあちゃんが数十年前に訪れたお店らしい。すごい。

ジュネーブ中央駅の構内には、世界中のビールが集まるお店があった。もちろん日本のビールも。こちらではあまり手に入らないニューイングランドスタイルのクラフトビールと、スイスのビールを買った。

夜行列車で帰途につく。一日中英会話を聴いたり話したりしたおかげでだいぶ疲れたが、それでも良い出張だった。

翌日に続く!