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杓子を逃げしものや何

ドイツ出張記 その7:14-17日目 スイス・ジュネーブ出張編

2月21日 火曜日 (21. Februar, Dienstag.)

2日間のブレーメン滞在のみでジュネーブへ向かう夜行列車に乗る。この列車はスイス国内まで乗り換え無しなので、遅れる心配があまりない。ちょうどいい時間に発着してくれるものだ。リクライニングのあまりきかない座席に座った。少し家族連れの声が聴こえるのと、充電ケーブルをさすためのプラグが見当たらなかったので別の座席を探しに行ったところ、隣が寝台車だった。Aさんが車掌さんに訊いてくれたところ、どうやら2等の通常の乗車券で乗って良いそうだ。というわけで初めて横たわれる夜行列車に乗ることができた。楽しい。暗くして少し作業をした後に寝た。というかあまりたくさん寝ることはできなかった気がする。ジュネーブ大学で訪問する研究室は私の研究分野で最前線を行く研究室であり、発表で何を言われるだろうと緊張していたのも、なかなか寝付けなかった理由のひとつである。

この通路がいかにも寝台列車という感じで好き。

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ドイツ出張記 その6:12-13日目 週末オランダ旅行・アムステルダム編

はじめに

ドイツ出張記、今回はオランダにあるミッフィーのホームタウン・ユトレヒトから、首都・アムステルダムに移ります。

2/19 出発

アムステルダムに向かう朝。眠りが浅かったためか、早めに目覚めることができて、小雨の降る中無事ブルーナさんの像を見届けた。そのままユトレヒト中央駅に向かう。ユトレヒト中央駅からアムステルダム中央駅までは1時間おきに列車が出ていたので分かりやすかった。プラットホームで待っているとまたお金をくれと声をかけられるだろう、と、ホームに降りる手前の吹き抜けで座って待っていた。すると前日に遭遇した女性にみたび遭遇した!!今度はためらいなく「すいません、アムステルダムに向かうんですか?」と声をかけたら向こうも私のことを覚えてくれていて、アムステルダムに同行することになった!

列車に乗り込み話を聞くと、彼女はTさんという。都内のとある大学の文系学部に在学していて、卒業間近なので旅行に来ていると教えてくれた。年下であることが判明。コロナ禍の困難な状況でなんとかヨーロッパで留学した経験があり、今回の旅でもその留学した街に訪れる予定であるとのことだった。Tさんも私のことをもう一度見かけたら声をかけようと思ってくれていたそうだ。アムステルダムは様々な美術館があり、基本的には予約していないと入れないので、あらかじめ予約している時間にはそれぞれ美術館に訪れるとして、お互い予定が決まっていない時間は一緒に街をめぐろうよ、と言う話になった。

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ドイツ出張記 その5:11日目 週末オランダ旅行・ユトレヒト編

はじめに

約5週間のドイツ出張の記録を綴るドイツ旅行記の5本目、今回はドイツを飛び出してオランダに週末旅行した様子をお届けします。

4本目はこちら。

2月18日 土曜日 (18 februari, zaterdag.)

計画立案編

翌週から怒涛の別の街への出張の連続なので、週末に落ち着いて他の街に旅に行くことが出来るのは、初めて5日間の平日を過ごした後のこの週と、帰る直前の最終週だけだった。善は急げと早速この週に行く計画を立てた。

行き先はユトレヒトである。ミッフィーのふるさとだ。もともとミッフィーがオランダ生まれであることは知っていて、お気に入りのミッフィーシャツでパスポートの写真を撮っていた私は、このパスポートが有効なうちになんとかオランダに行きたい、と思っていた。ブレーメンから週末に1泊か日帰りで行くことのできる街を調べたとき、ドイツの中南部の街に行くには遠すぎるが、代わりにオランダには適度に近いことを知った。それでまず首都アムステルダムに行く計画を立てた。色々と調べているうちに、ミッフィーのふるさとユトレヒトアムステルダムから1時間で行けることを知って、これは行かない訳にはいかない!!とにわかにテンションが上がった。

こちらで出会った人と、日本のおすすめの観光スポットはどこ?と訊かれた時に、どこだろう…自分はほとんど好きなアニメの舞台の聖地巡礼とかしちゃうからな…とまごついてしまう場面が幾度かあったし、ブレーメンも、絵本を日本から持っていこう!と買って持ってきた。私にとって旅先を決定する最重要パラメータは、聖地巡礼できるかどうかなのである。。。笑

そういう訳で最初に立てた方針は、2日のうち片方をユトレヒト、もう片方をアムステルダム、どちらかの街で泊まる、だった。宿を調べてみると…どこも高い…!しかしかろうじてユトレヒトのほうが安い…!ということで土曜日はユトレヒトに泊まることにして、夕方から移動してくるとバタつくので、土曜日にユトレヒト、日曜日にアムステルダムを訪れることにした。値段とダイヤの兼ね合いから、行きはDB(ドイ鉄)、帰りはFLIX BUSを予約した。FLIX BUSはヨーロッパ中を行き来する格安高速バスで、4年前にも重宝した。ユトレヒトブレーメンという区間でも乗換なしでの経路があった!

ユトレヒトへの移動編

さて、「その4」で触れたように、出発の朝を迎えて聖地巡礼の機会を目前にしても、さほどテンションは上がっていなかった。こういう時に時間を決めていないとだらだらと出発が遅れがちなので、ちゃんと電車を予約しておいてよかったと思う。まだ時差ボケが解消していなかったので早起きは朝飯前で*1、7:44発に余裕を持って乗車した。

乗車しているうちに自分がミッフィーの聖地に向かっていることに実感が湧いてきて、徐々にワクワクしてくる。

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と記憶していたけど、ホームで写真撮っちゃう程度にはワクワクしてたな。笑 そういえば内々定をいただいた後に車を移動する手段をあれこれ考えていた頃だった。

しかしDBアプリを見ると、2本目の電車が乗り継ぎ先のHangeloまでたどり着かないという通知が来ている。その通知の通り、Bad Bantheimで降ろされた。

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1時間後の電車に乗れと言われた。1時間後はまだギリギリミッフィーミュージアムの予約に間に合う時間だ、と悠長に構えていた。

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のに、1時間後にやって来た電車の乗客も降ろされているのを目撃して絶望する。このどんよりした駅舎の写真を撮っているところからもその絶望は伝わるだろう。今回の滞在では色々と危機や不便に直面してきたが、最も途方に暮れた瞬間はこのときだったと思う。

1時間後の電車から下ろされた乗客、若いドイツ人グループと車掌が話している。外国人観光客が車掌にそのグループを指して "Follow the guys!" と言われているのを目撃したので、私もグループについて行った。どうやらバスで振替輸送するということだった。たしかにDBアプリにもそうかいてあったし、先に窓口で確認したら良かったかもしれない。でも最初に電車を下ろされてから一時間はそれらしきバスが来なかった気がするな。

とりあえずバス停に移動した。あと何十分したらバスが現れるのだろう…とどんよりしていたら、程なくしてそれらしきバスがやってきた。これ以上その駅に留まりたくなかったので、本当に目的の駅にたどり着くのか半信半疑ながらそのバスに乗り込んだ。

本当にこのバスは本来の終点Hangelo駅に到着するのだろうか、と不安に思っていたら、酔っ払った日本で言うところの陽キャの兄ちゃんが、隣りに座っていいかと尋ねてきた。いいよと答えた。このバスはHangeloに行く?と尋ねたら、行くよと答えてくれた。ようやくひと安心。その後も兄ちゃんは英語があまり話せないながら、Google翻訳であれこれ話してくれた。いまドイツではマスクの制限ないよ、取りなよ!と言われた。笑

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ビールを飲んでいて、私にも飲みかけのビールをくれた。正直飲みかけかぁ~と思ったし、若干トイレにも行きたくなり始めていたので断ろうかとも思ったけど、せっかくくれたしなと頂いた。その他にも、そのグループの友達の一人が結婚を控えていて今日はそのパーティなんだということ、漢字のタトゥーを入れている友だちがいること、テキーラ2杯とビール4杯飲んだせいでめちゃめちゃトイレに行きたいということを話してくれた。その割にビールを飲む手は止まっていなかった。笑

規制が緩和されたとはいえ依然感染者は一定数いるだろうから、ノーマスクや回し飲みは清水の舞台から飛び降りる気分だったものの、彼らのアクシデントを一切気にすることなく盛り上がっている様子は、少なからず私の気を晴らしてくれた。話しかけてくれて嬉しかったことを話したら、笑顔でGood!ってやってくれた。インスタを交換してバイバイした。

駅に着いてからトイレに駆け込む。ドイツは公共の場所にあるトイレが有料である。博物館、レストラン、ホテル、鉄道など、お金を払ってサービスを受けるところでなければ、50セントなり1ユーロなり払う必要がある。だから外に出たらトイレを我慢しがちだし、電車から降りる前にはトイレに行く習慣がつく。膀胱炎の患者が日本より多かったりするんだろうか、ドイツ人はこれに慣れているんだなあ、と思っていたら、どうやらそうでもないようで、バスに同乗した陽キャの皆さんは、駅で1人目はお金を払って入るものの、その後は入っていた人がドアを閉める前に次の人が入ることで、2人目以降のトイレ代を支払わないという裏技(?)を使っていた。笑

陽キャご一行様と別れてから一人で電車を待っていると、中年女性に声をかけられた。放置されたスーツケースを私が忘れたものだと勘違いして伝えてくれようとしたのだった。指差しして一緒にそのスーツケースを眺めていたら本来の持ち主がやって来て、そのスーツケースが私のものでないことが判明すると、彼女は恥ずかしそうに笑った。その後ムーミンのアウターを見て褒めてくれた。ブランドの名前を聞かれて、日本のだからこっちでは手に入らないと思う、と答えると、日本に行く機会はあるのでその時のために教えてほしいと言われた。結局検索して見せる前に乗る電車が到着してしまったのでちゃんと答える事はできなかったが、グラニフとだけ伝えることができた。

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ようやくユトレヒトに到着した。駅舎が現代的で大きい。てっきりミッフィーがそこかしこにいる小さな郊外の街だと思っていたので、駅舎が現代的で大きくて改札がある*2ことに驚いた。

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街には仮装している人が溢れていた。どうやらこの週末はカーニバルだったようだ。全身大麻柄のスーツを着ている人とかもいて、なかなか強烈な見た目をしていた。

どうやって改札を出ればいいんだろう、と一瞬戸惑うも、DBアプリでQRコードを出すことができて事なきを得る。ミッフィーミュージアムの予約時間には遅れまくっていたけど、電車が遅れたことを説明したらなんとかしてくれるだろう、ととりあえずミッフィーミュージアムに向かう。

ユトレヒト散策編

ミッフィーミュージアムはメインストリートの中にあったので、着くまでの道中は街の散策にもなった。ミッフィーミュージアムに着くと、係の中年女性が、遅れているわね…と言いながらも入れてくれた。

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ミッフィーミュージアムの展示は基本的に子供がミッフィーの世界に溶け込んで遊べるような空間になっていたが、それでも大人でも楽しむことができた。

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驚いたのはオランダ語と英語に並んで日本語でも展示内容が説明されていたこと。ミッフィーが特に日本で人気であることを垣間見た瞬間だった。

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ミッフィーミュージアムを出て散策。道が狭くて建物が迫ってくるかのよう。川だか運河だかの水面近くまで建物の扉があって、7年半前に行ったベネチアのことを思い出した。ベネチアは初めて一人で海外を旅した2015年の夏に、ウィーン、ザルツブルクについで3番目に降り立った街だった。日本でも知っている人は多いと思うけれど、水の都と呼ばれていて公共交通機関の船・ヴァポレットがある。ベネチアングラスでも有名で、グラスが高くて買えなかった私でもベネチアングラス美術館を観るだけで十分楽しかったものだ。一人で旅した海外の街で一番好きである。ユトレヒトには船の移動手段はなかったが、ふつうは堤防となっているはずの川の両壁が建物になっている様子が、ベネチアと似た雰囲気を感じさせた。

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川べりを歩いて向かった先はユトレヒト中央美術館だった。ウェブサイトを確認したところ、ミッフィーの原作者・ブルーナさんのアトリエコーナーがあるけど、常設展示は工事中で観られないと書いていた。まあダメ元でおみやげコーナーだけ見に行ってみるか、と訪れ、念のため係員さんに訊いたら、なんとアトリエコーナーは見られるとのことだった!我ながら嬉しさが伝わっただろうな、という声で"Really?!"と快哉を叫んだ。

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ブルーナさんのアトリエのレプリカは、私にとってミッフィー美術館よりも居心地の良い空間だった。木造の屋根裏のように天井が低く迫る空間、

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日本とのつながりを感じさせるさくらももこさんからの手紙、

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人参の形に切り抜かれた型紙。動物の画の参考にしていたナショナル・ジオグラフィック、そして世界から集められたあらゆる言語の彼の著作。彼がリラックスするために設置していたというフカフカのソファ。どれも彼の生活空間を感じさせる温かみのある展示だった。

ゆったりと展示を見ていると、私と同じくミッフィーの柄の付いた服を着た、同年代らしき女性が日本語の展示を読んでいるのを見つけた。どうやら日本人の、もしかしたら同年代の方だけど、美術館に一人で訪れている人に取ってはノイズでしかないだろうと話しかけるのを控えた。

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美術館でお土産を買って次に向かったのは、ミッフィーの信号である。世界で一つだけ、人間がミッフィーに置き換えられた歩行者信号があるというのを聞いていた。先程と違い開放的な河川敷のある川べりを20分程歩いて駅前に戻り、そこからすぐ信号にたどり着いた。

私が青信号で写真を撮影し終えて、ふとあたりを見渡すと、私を少しの慈しみを含んだ表情で眺めながら横断歩道を渡っていく人影に気づいた。見覚えのある柄の服を認め、美術館で見かけたその人であることがすぐに分かった。信号の前に留まっていた私は急な再会にしばし立ち尽くした。気づけば信号が赤に変わってしまっていた。再び青に変わるのを待ち彼女を追いかける大胆さは持ち合わせていなかった。そのまま踵を返し中央駅に向かったが、その道中にも考えは巡った。その女性は、美術館で遭遇したときと違って、ミッフィーの信号ですれ違った時には、明らかに話しかけたらそれなりのポジティブな反応を得られるという確信が得られる表情をしていた。それなのに話しかけなかったのが尾を引いた。

そんな心持で、ユトレヒトで最安だったホリデイ・インに向かうため、バスに乗った。電車で数時間とは言え国境をまたいでいるので、バスの乗車システムは異なる。バスの運転手に行き先を伝えて、そこに行けるチケットを購入して乗り込んだ。そしてその行き先の一つ手前のバス停の名前は紛らわしいもので、もう百数十mほど先だったので、地図を眺めながら様子を見ていたら、バスは明らかに百数十mでは停止しない加速をし始めた。ついに陸橋を渡ってしまい、乗り過ごした先の次のバス停は歩いて十数分掛かる場所だった。見過ごしと乗り過ごしで完全に弱った気分でホテルに着いた。

チェックインを済ませて部屋に入ったところで問題となったのは夕食である。正直もう市街地に戻るのは気が進まない。しかし安かっただけあって周囲に食べる場所はない。街の中心部で検索したレストランもことごとく要予約である。そういえば以前家族旅行で訪れたナポリでホリデイ・インに宿泊した時はホテルの中のレストランで夕食を取ったな、そこにしよう、と室内にあるレストランのメニューを眺める。…土曜定休。詰んだ。もう私に選択肢は残されていない。途方に暮れてフロントに行き、おすすめのレストランを尋ねた。もはや市街地でも良い。そうしたらあるバーを教えてくれた。とりあえず夕飯にありつける。ありがてえ。

中央駅までバスで戻る。教えてもらったバーはホテルから見て中央駅を超えて十数分歩くところにあった。カウンターではなくテーブルに通されたので、誰とも会話せずに食事することに。またさっき声をかけそこねた人のことを思い出していたが、気を取り直して日本から連れてきたミッフィーのぬいぐるみと食べる。この地域を代表する料理は何か、と店員さんに尋ねたらステーキと言われたのでそれを頼んだ。付け合わせにフレンチフライはいるかと訊かれたが、これまでの経験上食べきれないだろうと断った。

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まず先に来たビールがめちゃめちゃ沁みた!フロントさん最高!!

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そして続いてやって来た料理も美味しかった。食べきってちょうどお腹がいっぱいになったので、そのステーキとソースは確実にフレンチフライに合うものだったが、やはり頼まなくて正解だったとニンマリした。40ユーロちょっとで少し高く感じたが、まあ日本のお店で呑んだくれたときもそのくらいするしまあいいか、と納得した。むしろ旅先で節約ばかり考えて食べないのももったいないな、と思った。

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酔っ払ってご機嫌で中央駅まで散歩する。昼間に歩いた市街地とはまた違った様子だった。

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ミッフィーミュージアムの2階の窓から夜の街を見守るミッフィー

ミッフィーミュージアムは、もともと中央美術館の向かいにあったのが、工事のため市街の中心部に一時的に移転しているようで、位置的には離れていたが、かえってそこに向かう道中に市街の様子を見ることができたし良かったなと思った。

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夜の信号機をもう一度観に行った。

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バスでホテルに戻りホテルで翌日の行動予定を考える。とりあえずこの日に行きそこねたブルーナさんの像を見に行こう。アムステルダムで食べる昼ごはんは予約しよう。ユトレヒト一の高さを誇るドム塔は気になるけど時間的にやめておこう。ブルーナさん御用達だったクッキー屋さんは…日曜定休!残念!

そうして床についた。翌朝まで安らかに眠ることが…できなかった。夜中の1時にいきなりホテルの警報機がけたたましく鳴り響いた。静寂の中にいきなり大音量の音が耳に飛び込んできたので、めちゃめちゃビビった。何があったのかわからず、数時間寝付けなかった。

心細い思いを抱えながら翌日に続く…

*1:「早起きは朝飯前」という慣用句の使い方は、文字通り解釈するとまあ起床という行動が朝食の前であるのは当たり前だから何も言ってないみたいだな、みたいなことを自分で書いてみた直後に思った。こういう揚げ足を取ってるんだか取ってないんだかわからないことを他の人に言うと面倒な顔をされるので(当たり前)、最近は思い浮かんでも、乗ってくれそうな相手にしか言わないようにしている。笑

*2:前の記事にも書いたが、ドイツの駅では改札はなくたまに検札があるのみである

ドイツ出張記 その4:7-10日目 初めての平日1週間

はじめに

ドイツ出張記その4。1週間が経過しました。

2月14日 火曜日 (14. Februar, Dienstag.)

相変わらずの超早起きなので、5時台から外に繰り出してランニングをした。帰りが早いと、ちょっと遠回りしてもさっさと寝て翌朝には早起きできる。

依然時間に余裕があるので、普段乗る6番線じゃなくてちょっぴり遠回りしてみよう、と4番線に乗ってみた。(この行動が後の自らの参考になるとは露ほども思っていなかった。)

この週はプレゼンテーション準備に終始していた。最初の計画でやると話していたことが、Aさんの他の仕事が多忙であることによりなかなか進まず、徐々に焦燥感にかられ始める。まあプレゼンテーション準備は捗って、英語に徐々に慣れてきた。

いつも食堂に誘ってくれるSくんが、今日の午前中はあまり生産的でなかったよ、としょんぼりしていたので、そういう日は誰にでもあるよと伝えた。これは言わなかったけど、僕なんて1ヶ月まるまるはかどらなかったことだって割とある。そういう時期があることに諦めをつけて長く続けることが、ドクターの学生には必要だと思う。特に日本ではドクターの学生は寝る間を惜しんで研究に時間を割かなければならない、みたいなイメージがあって、多くの学生もそれを内面化している気がする。そこまで人生を研究に捧げなくても研究成果は認めてもらえるし、博士号だってもらえるから、息を詰めすぎないでほしい。

そういえば、3年間の博士後期課程の生活で、博士後期課程の生活のストイックさを垣間見た機会があった。私が確か博士後期課程の1年目を終えた頃、生協の学生生活実態調査のアンケートに回答する機会がやってきた。学部生や修士課程の院生は数人から十数人に一人が回答するこの調査は、博士後期課程はそもそも学生がとても少ないために、2~3人に1人が回答することになっていた。その中に家計について答える設問があった。支出は家賃、水光熱費、食費、娯楽費などの内訳を、収入は仕送り、アルバイト、奨学金などの内訳を聞かれた。食費のうち、お酒を伴う飲食は娯楽費に入れるようにということだった。まあたしかに衣食住の食は酒がなくても自炊と買い食いと外食で満たせるしな、道理だと思った。私は律儀に家計簿アプリを見返して回答した。数年でそこまで劇的に状況は変動しないだろうと、前回、前々回の調査結果を見て自分と比べてみた。そうしたら自分の酒代を含む娯楽費は平均の3倍に達することが判明した。笑 まあもっともそういう生活を私が送ることができたのは、鹿児島の家賃が安かったことと、先生とのいらぬ衝突を避けるために、内緒でビアバーのバイトをして飲み代を稼いで、コロナ禍の始まった2020年以降でも、自分で感染者数の基準を設定して(飲み屋の営業自粛要請が出る5日前くらいに行くのを止めるくらい)マスク会食を徹底しつつ、だましだまし飲みに出て飲み友達を増やしていた事によると思う。知り合いがいない街に降り立ってからこれだけ充実した一人暮らしができたのは、鹿児島に住んだからこそだと思う。

アパートの部屋は土足可能な部屋だけれど、靴を履いたまま過ごすのはなかなかリラックスできないので、スーパーでスリッパを買った。もこもこで暖かい。ついでに石鹸もようやく買った。これまで洗面台に備え付けてあった小さな石鹸でやり過ごしてきたが、流石にもうどうしようもない大きさになってきたので、観念してちゃんとドイツ語を調べて、これがボディソープだと確信を持って買うことができた。早速使ってみるとごっそり垢が取れる。日本から持ってきたシャンプー(メリット)はあまり泡立たないので、やはり石鹸はその土地の水に合わせて開発されたものを使うのが一番なのかなと思った。

買っていた食材を使ってようやくシュークルートを作った。全然映えない。見るほどにドイツ要素一通り煮込みだな。笑 でも記憶どおりの味に仕上がって満足。

2月15日 水曜日 (15. Februar, Mittwoch.)

目覚めると霧がかかった幻想的な景色が広がっていた。放射冷却で気温が下がり、川の水温は高いままだとこういう状態になるのかもしれない。しかしこういう状態はあまり見なかったな。昼には霧は晴れ渡っていた。

2月16日 木曜日 (16. Februar, Donnerstag.)

滞在期間中最もタフな1日だった。日本の会社の採用試験をオンラインで受ける事になったのだが、日本時間で11時30分から始めると通知された。つまりこちらの時間では夜の3時半。この時間に起きて面接を受けたと言うだけで採用してほしいものだ。笑 というのは冗談で、面接期間に海外にいながら融通をきかせてくれただけでもありがたいことだ。採用試験というのはいかに自分を都合よく見せるために建前を話せるか、とはよく言われるけれど、私はそういうのがからっきし苦手だ。無様なところも本音もなるべくさらけ出すから、その上で判断してほしいと思う性分である。なんならその姿勢を汲んでくれない人はこちらから願い下げくらいの心持ちでいる。そういう姿勢を隠しきれず、面接で要らんことを言って後悔。その後トイレで便座の前にある壁に固定された小さな棚の角に頭をぶつけた。いらん事言ったことに対してバチが当たったことにして、この仕打で許してくれー、と思った。

昼間は受け入れてもらっている研究メンバーのzoomで私の研究内容を発表した。毎週のミーティングが終わった後に設定されていたので、一人ずつの状況を面談する時間がいつもより長引いて、完全にお昼ごはんの時間に食い込んでしまった。寝不足と巻かなければならないプレッシャーで、発表は散々だった。

帰りにはいつも乗っているトラムが何故か使えなくなっていた。翌朝から始まると言われるストの前倒しか、と思ったけど、どうやらそういうわけではなさそうだった。色々うまくいかないことが重なり、メンタルがバタンキューだったので、立地のせいで多少割高だった気がするが、中央駅前でフライドポテト付きカリーヴルストを買って家で食べた。こういうときの揚げ物は染みるぜ。ちなみに後ろにぼんやり写っているBECK'Sはブレーメンのブルワリー(ビールの醸造会社)だそうだ。こっちではスーパーに売っているどのビールもだいたい美味しい。発泡酒とか第3のビールとかは存在しない。まあビール純粋令の国ですから。

2月17日 金曜日 (17. Februar, Freitag.)

いつものように大学行きのトラムに乗っていたら、途中で降ろされてしまった。仕方ないので大学方面のバスを待っていたら、日本語で話しかけてくれる人がいた!聞くとコスタリカ出身で、京都でALTを経験した方だということだった。多分向田邦子のエッセイを車内で読んでいたので日本人だと分かって話しかけてくれたのだと思う。無印のノートを持っているのを見せてくれた。たまたま研究室で食べようと持ち合わせていたガーナチョコをお礼にあげたら喜んでくれた。連絡先でも交換してディナーを誘ってみたらよかったなと少し後悔。

朝から素敵な出来事があったので、昨日の様々なことを忘れてウキウキで過ごす。そうこうしていたら、日本から国際電話がかかってきた。市外局番を見てみると、どうやら面接を受けた会社の所在地からかかってきた、つまりその会社から面接の結果を知らせる連絡が入った!胸の鼓動が早くなる。無事内々定をいただけた。よかったぁ~~いらん事言っても評価してもらえたぁ~~…!

…とまあいい出来事は色々あったのだが、この滞在で唯一計画を立てて予約すべきは予約していた週末旅行を前にしておきながら、夕方はあまりテンションが上がらなかった。そうだ、私は一人旅というのが苦手なのだった。一人で行動するのが心細いとかではないのだが、その場で起こる出来事を誰かと共有したい、しないとなんだかテンションが上がらないのである。2015年の夏に初めて長期の海外旅行をした時に、2人でドイツに入国した数日後に解散し一人旅に移行したのだが、それで初めて一人で降り立ったウィーンの寂しさと言ったらなかった。カフェザッハーのあるウィーン位置の大通りでひとりTHE BLUE HEARTSを口ずさみながら歩いた。国内でも一人で過ごすことはあまり好きではないのに、海外では日本語が聞こえてこないからなおさら無理である。そんなことを思いながら、翌朝に向けて準備をしていた。

スーバーに向かう道中で見かけた建物への落書き。明らかに子供が書いた跡。かわいい。笑

こちらのスーパーには芽キャベツが普通に並んでいるのが、日本ではめったに見ないので珍しいと思った。鹿児島でしばしば行かせてもらっているビアバーに「芽キャベツとベーコンのソテー」というメニューがあったのを思い出し、そのビアバーに思いを馳せながら作ってみた。何か苦味というかエグ味が残ってしまい、会心の出来にはならなかった。またあの会心の芽キャベコ(とひとり心のなかで呼んでいる)を食べたいな、と思ったのだった。これも何か寂しさを増幅させる一つの要因だったかもしれないな。

おわりに

こうやって振り返ってみると、何も大きな出来事がなかったと思っていた日にも、カメラロールを見返すと何かしら記憶に残る瞬間があって、飽きのない生活を送らせてもらっているなと思った。幸せ。ドイツを出る目まぐるしい週末旅行編に続く。

ドイツ出張記 その3:3-6日目 初めての週末と新しい日常

はじめに

ドイツ出張記その3です。その2はこちらからどうぞ。

yominabe.hateblo.jp

2月10日 金曜日 (10. Februar, Freitag.)

5時前(日本時間の13時前)に目覚めて活動を始める。備え付けのオーブンレンジの皿がガラス製なのだが、グリル機能でパンを焼く時にガラス皿が溶けやしないかと心配だったので、意を決して取説を調べてみた。複数の言語のバージョンが出てきたが、英語はなく、結局ドイツ語の取説を悪戦苦闘しながら文字読み取りと翻訳サイトを駆使して解読する。結局、グリル機能では皿を使わないでくださいみたいな記述は見つからず途方に暮れる。

この日はようやくAさんと再会できる日、そして研究グループのメンバーと顔を合わせる日だ。前日に買った1週間券で意気揚々とトラムに乗り大学に向かう。Aさんからは9時から9時半の間に来てくれれば僕は居ると思う、と伝えてもらっていたので、そのくらいの時間に着くように宿を出る。電停を降りてまだAさんはたどり着いていなかったので、とりあえず同じトラムから降りた人々の多くが向かうスーパーの方に向かって歩いてみた。Aさんは逆方向から来た。笑


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ドイツ出張記 その2:2日目 初めてのブレーメン散策

はじめに

ドイツ滞在記第2弾。2日目、2月9日に街を散策した記録をお届けします。

2月9日 木曜日 (9. Februar, Donnerstag.)

ドイツで迎えた初めての朝。今回は研究のための短期留学のような位置づけの出張で、現地の大学でお世話になるAさんはかつて私が研究室でお世話になり、今も論文の共著になり指導していただいている方である。Aさんとは昨年6月の国際学会で、研究室を離れて以来2年半ぶりの再会を果たしていた。そこからまた半年空けていたので、初日はブレーメンの街を案内してもらえるかと心躍らせていたが、どうやらリモートワークと家事でいそがしいらしく、対面は翌日までお預けになった。そういうわけで今日はまだ現地で拠点とする研究室には顔を出さないし、着いた翌日だからゆっくりしてね、とAさんに伝えられる。そこでひとり街に繰り出し街の中心部を散策することにした。特に海外旅行では、初めて訪れた街は地図に頼らずにあちこち歩いてみるのが、街のつくりや雰囲気を感じるのに効果的である。

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ドイツ出張記 その1:準備から1日目

はじめに

機会に恵まれて1ヶ月半ばかりドイツに出張することになった。その旅の記録をまとめたいと思う。

準備編

*スーツケース選び

まずパッキングの話から始めたい。海外旅行ではこれまで個人で行くときには登山用のリュックを、家族と行くときは母と兼用のスーツケースを使っていたが、前回の海外出張で登山用のリュックに詰めたカップヌードルが潰れ、おみやげのショットグラスが割れてしまう不幸に見舞われたので(これも想定できたことだと思う…)、初めて自分用にスーツケースを買った。Amazonでスーツケースを探したが、めちゃめちゃ種類があるので、いくつかの条件を設定した。

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