読み鍋屋

杓子を逃げしものや何

「リコリス・リコイル」12話以降でのちさたきへの期待

はじめに

本ブログを普段ご覧くださっている方には周知の事実だが、私は8月からテレビアニメ「リコリス・リコイル」に熱中している。リコリコを好きになった理由は何と言っても主人公・錦木千束(にしきぎ ちさと)の声とパーソナリティである。声の魅力はこれまで「この錦木千束が尊い!!」という連載記事で述べてきたとおりである。彼女の元気でグルーブ感あふれる言葉の数々は、聴く者を元気にする魅力を持っている。

しかし、声の魅力をここまで存分に味わえているのは、前提として彼女のパーソナリティに魅力があるからだ。その懐の大きさはまず彼女のバディである井ノ上たきなとの関わりで視聴者に伝えられ、私は千束が好きになった。

やがて、その懐の大きさの裏に隠れていた影が見え隠れし、千束もまた大きな理不尽を受ける人物であることが判明し始める。不幸せな現実を受け入れて、それでも最大限今を楽しみ、周りを笑顔にしようとし続ける彼女には、他人への優しさだけでなく、自分の理不尽は甘んじて受け入れる自己犠牲の精神も伴っていた。そのことに直面しなければならない瞬間が訪れるとは薄々感じていたが、それは10話のミカを赦す千束のシーンとともに訪れた。

そうした経緯から、本稿では、1話から10話に至るまでの千束の人生をかいつまんで振り返り、特に10話で彼女の言動について考えたことを整理して、他の作品や文章から感じたこととの繋がりを考えながら、11話で千束を助けに駆けつけたたきなと千束との間に起こって欲しい未来への期待を述べる。

1話から3話までの千束

隠密治安維持組織・DAのエージェントとして参加した作戦が失敗し、その責任を理不尽に着せられた井ノ上たきなは、本部から、千束や店長のミカが働くDAの支部・喫茶リコリコへ転属してきた。とにかく本部に戻りたいたきなは、喫茶リコリコの店員や常連客との交流といった、復帰につながらないような関わりは一切しない態度を見せていた。しかし3話で何をしてもDAへの復帰は叶わないことを告げられてしまい、たきなは失意とともに塞ぎ込んでしまう。

そこに一筋の光をもたらしたのが千束だった。理不尽なことは間違いないけど、今は置かれた場所で進むときだ、リコリコを新しい場所として試してみて、それでもDA本部のほうが良いと思ったらその時戻れば良い。何より自分はたきなと出会えて嬉しい、と伝える千束。私は感銘を受け、私も彼女のように一緒にいる人を幸せにできるように、素直に好意を伝えたり、人生を全力で楽しんだりしたい、と思ったのだ。

4話から8話の千束

3話で千束の言葉に心打たれたたきなは、徐々に心を開いていき千束との仲を深めていく。しかしその過程で、理不尽な境遇であるたきなを励まし、彼女の復帰のために尽力する姿を見せてきた千束自身にも不穏な要素が見え隠れする。他人の人生の残り時間を奪いたくないから、殺人が許可されているDAの実力者でありながら、悪人であろうと命を奪うことはしないという理念。「人間、人生で楽しめる食事の回数は決まっているからすべての食事を楽しみたい」という刹那的な生き方。アラン機関と呼ばれる隠密機関に提供してもらった人工心臓で生きていること。不殺の理念は自らを「救世主」と称した人工心臓の提供者に恩返しすべく、確固たる理念に掲げて生きてきたこと。DA本部を離れて喫茶リコリコを始めたのは、「救世主」に再会してお礼を言いたかったからであること。リコリコを度々訪れてくれたお客さん・シンジが、実は人工心臓の提供者だったこと、しかし彼の言動は何か今の千束の行動を否定するような冷たさが感じられたこと。

千束の知らない真実も次々と明らかになる。シンジは実はミカがDA本部の司令だった頃に恋仲になり、二人の間の擬似的な娘として、千束を最強の殺し屋として育てるようミカに託し、人工心臓を提供していたのだということ…。

9話・10話の千束

不穏さが最高潮を迎えた9話、シンジの画策により睡眠薬によって眠らされた千束は、人工心臓への破壊工作を受け、充電がもう出来ない状態になり、余命が充電が切れるまでの2ヶ月だと宣告される。急な余命宣告にも関わらず、「元々長くなかった命を人工心臓で延ばしてもらった、覚悟はできている」とすんなりと受け入れて、いつもと変わらない様子で元気に振る舞う。彼女を救う道がないか陰で模索する喫茶リコリコスタッフの姿を認めた千束は、自分のために時間を使ってほしくないと、喫茶リコリコを閉店し、スタッフに自分の人生を楽しむよう半ば追い出す形で喫茶リコリコからの出発を見送る。ミカと二人残った千束は、閉店作業をしながら自らの身辺整理を進める。

千束に残された時間が短くなっていく中、ミカは千束に長年タンスの奥で眠らせていた晴れ着を着せてあげるが、それを喜びこれまでの人生においてミカにしてもらったことの感謝を述べる千束に、自らが千束に感謝されるほど見上げた人間ではないと良心の呵責を抑えきれなくなる。ついにミカは自らが人工心臓の交換条件として千束を殺し屋に育てることを求められていたこと、しかしそれをすることはできず、結果的に千束の残りの人生を短くする引き金を引いてしまったことを白状する。初めて明かされた事実に千束は取り乱しつつも、ミカを赦し、これまでにミカにしてもらったことへの感謝の気持ちは変わらないと伝える。

10話の振り返り

ミカは、ここまでシンジから託された本当の使命を独り抱え込んで、千束が望む人生を送れるよう尽力してきた。しかしそれがシンジに露呈し、結果的に千束に対する実力行使のきっかけを与えてしまう。前話でのクルミとの会話を通じて、シンジが千束に使命を果たさせるべく様々な策を講じていたことに直面せざるを得なくなった。

自らが招いた千束の理不尽な運命に、良心の呵責を抑えられず、擬似的な親として接してきた千束に無様な姿をさらし、正解は何だったのか、教えてくれ千束、とはっきり言葉にして問うてしまうミカにとても人間味を感じる。でも言わないままちさとの別れを迎えてしまえば絶対に後悔しただろうし、もっと早いタイミングで打ち明けてしまったら、ミカ自身が白状したようにちさとの命のきらめきの原動力が失われてしまうかもしれない。そう考えたら、これ以上のタイミングはなかったと思う。まずミカが人間としての弱さをさらけ出せてよかった。スラスラと出てきた言葉には、これまで何度も何度も自分を責め立てて、でも正解は見当たらなくて自分の中でぐるぐると回り続けていたんだろうな…ということが察された。

ミカは千束に打ち明けるということが、ただ自分を楽にするだけで、千束にとって良いように作用するわけではないことは分かっていたと思う。だから赦しを得たミカはただ涙を流しながら「すまない、すまない…」と伝えることしかできなかった。司令官だった当時の過ちを肯定することは出来ないが、私はそのミカの真摯さを尊重したい。

この告白を受け止めてもなお、晴れ着を用意して成人を迎えてほしいと願いを込めていたミカの愛情が嬉しかっただろうし、自分を責めるばかりのミカに、沢山の愛情を注いでもらった感謝を伝えたかったのだと思う。実際に人工心臓のお陰で延命が出来、この10年楽しい人生を送れたのだと考える千束。彼女にとってシンジとミカは、自らを利用しようとして、今は危害を加えられた加害者だったのだとしても、たくさんのものをくれた大事な人であるのだろう。ちさとの返事は、ただ模範解答として提示したのではなく、ちさとが確かに心から思ったことなのだと思い至った。こういった会話の流れが、ミカにとっても千束にとっても一番良かった気がする。

ミカが千束に「自慢の娘」だと伝えられたのがとんでもなく泣ける。「殺し屋として育てなければならない」という荷物を抱えていたミカが、その荷物をようやく下ろすことが出来、そんな打算抜きで千束を家族だとようやく口に出して伝えることが出来た、とても好きなシーン。連続テレビ小説あまちゃん」の70話で高校生時代の娘・春子にした不義理を抱えながら生きてきた夏さんが25年越しに春子に謝罪できた場面を思い出した。あまちゃんは私が朝ドラを観るきっかけになった、今でも一番好きな朝ドラで、その中でも特に思い入れのあるシーンだったから、そのシーンを観たときと似た気持ちになれたことが嬉しい。

映画「湯を沸かすほどの熱い愛」でも感じたモヤモヤ

千束とミカが互いを家族だと認められたのは、理不尽な状況に置かれながらもその中で最大限幸せになれる行動だったと思う。それは3話で千束がたきなを喫茶リコリコへ導いて、たきなにとって千束と喫茶リコリコが大切な存在になっていったのと同じ構図だ。

とはいっても、人生のモチベーションとしていた憧れの人物が、実は自分に殺しを強いていた張本人だったという重大な事実をいきなり明かされてなお、ミカが自問自答をし続けてなお答えを出せなかった難問に、千束がすらすらと返答したことには依然居心地の悪さを感じる。というのは、こんな返答を千束が出来たのは、きっとこれまでに自らが置かれてきた理不尽な局面を乗り越え続けるうちに身についてしまった強さゆえなのだろうと感じたからだ。その強さが、私が千束を好きになった理由に紐づいているからこそ尚更モヤモヤする。

こういうモヤモヤは最近映画「湯を沸かすほどの熱い愛」を観たときにも感じた。一家の母を担う主人公・双葉が、娘が学校でいじめられて絵の具まみれになった制服を観て「その中でどの色が一番好き?」と言い放つ。娘に厳しいことを言う厳しい親だと思いきや、双葉自身もそれよりはるかにたくさんの理不尽を抱え込んでいた。その理不尽に決して屈しない強い姿を見せ続け、娘にも強くあることを強いる双葉。自分がいなくなって一人で理不尽に直面した時、立ち向かえる強さを身に着けてほしいという双葉の娘へ思いは分かるし、その行動も正解のひとつなのだろう。でもそんな理不尽がまかり通る世の中であることがつらい。私は、そんな世の中を変えるには自分の力があまりに不足しているから、せめて私の周りにいる人達が弱さをさらけ出していても理不尽を被らなくて済むような存在でありたいと、この映画を観て強く思った。これまでもなるべくそんな生き方を志向してきたつもりである。

ちさともたきなや周りの皆に対してはそんな存在でいられるキャラクターだ。たきなの理不尽に自分のことのように怒り、解決できるように尽力する。しかしその理不尽が自分に降りかかったときには、解決しようとするのではなくどうにかポジティブに受け止めようとする。それもまた処世術の一つであるだろうが、そんな処世術を身に着けなくても幸せな人生を、千束には送っていてほしかった。

推しに裏切られた小説家のエッセイから感じた本作とのリンク

また、この映画やちさとのシチュエーションとは少しずれるが、先日読んだ小説家の柚木麻子さんのエッセイの事も思い出した。

nhkbook-hiraku.com


性加害報道がなされた俳優を長年推してきて公言もしてきたために、今回の報道を受けて複数の原稿依頼が舞い込んだという柚木さん。その原稿依頼の裏に見える模範解答を念頭に置きながら、尊敬する人が話した以下の言葉に示唆を与えられたという。

「なんかさあ、こういう時、言葉を要求されるのは、被害者側に立つ人たちや被害者なんだよね。性加害者は黙り込んで、ただ時が過ぎるのを待つ。だから私たちは永遠に、どうして加害が起きるか、そのメカニズムを知らない」

この文脈では「加害者=性加害をした本人」「間接的加害者=彼を好んできた自分への赦しを求める読者」「被害者=理不尽に向き合わされた執筆者」という三者が存在する。ちさとの話に戻ると、「加害者」は、職務上の利益を得るために人口心臓移植を引き受けたミカと、過去から現在にかけて殺しを促すシンジ。「赦しを乞う傍観者」はちさとの様子を傍で見守り続けた結果、晴れ着を用意するようになってちさとの人生の幸せを追求するようになったが、現在のシンジの行いを止めることが出来なかった現在のミカ。「被害者」は理不尽な使命を背負わされ、それを全うしていないからと危害を加えられた千束、に当てはまると思う。ミカは当初加害者だったけど、結果的にちさとを救うことに貢献していたこと、今は彼女を支える大きな存在になっているが、同時に彼女への理不尽を止められない存在であることが、ミカを3つのどれかにすんなりカテゴライズできなくして複雑になっている。

このエッセイを踏まえると、やはりちさとに模範解答を求めることはおかしいのだと思う。それ以前にシンジが糾弾され、それに対するシンジの言葉があるべきではないのか。

と思っていたら、千束自身が「ヨシさん(シンジ)から直接聞きたい」と、人質に取られたシンジのもとへ向かう決意を表明した。どこまでもちさとには敵わない。

今後待っていて欲しい展開

10話の千束の声が好きなベストシーンには、まだ彼女の理不尽は解決されていないながら「ほら先生、泣かないで。センセこそどうなのよ、この千束はどう?好き?」という台詞シーンを選んだ。しかしこのシーンが本当に評価できるかどうかを結論づけるには時期尚早だ。

この回のクルミやミズキなど、本作のちさとの周りの大人達は良くも悪くも物分かりが良いから、千束の意思を尊重して「千束に生きて欲しい」というわがままは言わない、という指摘は多くの視聴者がしている。私も似たような人間で、何か言いたいことがあっても色々考えすぎてなにも言えなくなりがちなので、クルミやミズキの行動も分かる。だからこそ、3話でDAに戻りたがるたきなに対して、千束があえて遠慮せず、リコリコという居場所を提示した場面に感動したし、8話を経てもなおたきなの思いを見て見ぬふりをする千束が、物わかりの悪いたきなに面と向かってストレートな愛情を突きつけられる瞬間が観たい。それはきっと3話で千束がたきなにしたことのお返しになり、千束がこれまで周りの人たちを幸せにしてきた行いが本当に報われる、本作のハイライトになるのだと思う。千束には報われて、幸せになって、たきなにたくさん甘えてほしいのだ。そうじゃないとバランスが悪い。それを受け止められるのは、千束が最も大きな影響を与えて千束を救うために全力で走るたきなしかいない。

画面の向こうの視聴者は好きなキャラクターの幸せを願うことしか出来ない。私達に代わって千束を幸せにする希望をたきなに託した。たきなが千束の真の救世主になって初めて、私は10話の千束を胸を張って称えることができるだろう。

何か千束に同情するような話ばっかりしちゃったな~それはそれで千束は望まないだろうな…と思いつつ11話を見届けたら、めちゃめちゃかっこいい千束がまた観られて最高だった!!そしてそこからのラストシーンでのちさたき再会!!かっこよすぎんかワレ!!!光とともに飛び込んできたたきなの図はもうそれだけで救世主と言って差し支えないけど、ちゃんと問題が解決して千束と話すシーンがめちゃめちゃ楽しみ!!

ていうかクルミもやっぱり裏で探索を続けてたんだね!!AR端末でノータッチで解析する図だけでもメチャンコかっこいいのに、その解析内容があまりに優秀すぎる、この内容をわずか数十分でこなしてしまうなんて…!わしの研究の解析もこれくらいよどみなくできるようになりたいぜ…笑 まだ一言も言葉を交わしてない千束とたきながどんな会話を交わすのか、俄然期待が高まってまいりました!!12話、13話が楽しみだね!!

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本ブログでは「リコリス・リコイル」の感想を、千束の声にフォーカスして好きなシーンを列挙しながらまとめた連載記事を書いています。興味のある方は是非!

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途中の話数から読みたい方はこちら。

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