読み鍋屋

杓子を逃げしものや何

未知のアルバムを聴くということについてグダグダ語る

新しいアルバムとの出会い。それはまるで学年が上がって新しいクラスが発表されるときのような高揚感と緊張感のあるイベントだ。どんな生徒と同じクラスになるんだろう、とそわそわして向かえる始業式。運良く気の合うクラスメートがいたら四六時中つるんでいたりする。やがて親友になり完全に打ち解けた頃には、初対面でぎこちない感じだった頃のことを思い出せなくなる。

アルバムの収録曲はクラスメートに似ている。今まで仲良くなった友達の作り手がまた新しい友達を用意してくれることへの安心感と、ひょっとしたら少しテイストが変わってあまり仲良くなれないかもしれないという一抹の不安。しかし緊張しながらいざ通しで聴いてみると、めちゃめちゃ気の合う曲が見つかる。日が経つうちに、注目していなかった曲とも仲良くなっていく。あんまり自分とは気が合わないなって思う曲があっても、その曲と仲良くしている人がたくさんいる。

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そんな心境を私は最近羊文学の新譜「our hope」と対面したときに経験した。その全曲レビューを書くにあたって、そもそもこのレビューを書いている現時点は、新しい曲と出会って好きになっていく過程のどこに位置するか?という疑問が現れた。どう考えても曲、歌詞、演奏の全てに注目するには短すぎる時間だ。だからといってレビュー記事を早く書くために、それぞれの要素を味わうのをそこそこに全部をさらってしまうのはもったいない気がした。

そんなわけで、この短期間では曲の隅々まで目を行き届かせることはできない、という言い訳を、レビュー記事の一章として書いてみたものの、本筋からずれ気味だったし、本筋だけでものすごいボリュームになったので(笑)、独立して記事にすることにした。

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たいていどんなに好きなアーティストのアルバムも、最初から全部の曲を好きになるというのは難しいものである。私はこれまでの経験*1から、ある曲を好きになる速度は、a)曲の魅力だけでなく、b)同時に聴き始めた新曲*2の数や、c)新曲を受け入れるキャパシティにも依存するという持論(というほど独自性のあるものではないかもしれないが)を持っている。

b)に関しては、最も単位時間あたりの各曲の再生回数が伸びやすいのは、2曲をヘビロテする場合である。シングル曲が好きになりやすいのは、もちろんそのアーティストがイチオシと思って特に入魂して作った曲だからというのも大いにあるが、リスナーがその曲(とカップリング曲)に絞って対峙できるから、1曲をより速いスピードで吸収できるからでもあると思う。

c)に関しては、自分の精神状態によるところが大きい。いそがしいほどじっくり曲を聴く時間を取れなくなってキャパが小さくなるとか、ストレスが溜まっているとそれどころじゃなくてキャパが小さくなるとか、曲に歌われる境遇に立っているときにはキャパが大きくなりやすいとか、今回みたいに新譜がリリースされる高揚感でキャパが大きくなるとか。

つまり10数曲から構成されるフルアルバムというのは、いっぺんに好きになるには供給過多すぎる。しかも好きなアーティストほど全身で曲のカロリーを摂取しに行くので、キャパオーバーになりやすい。そしてそれぞれの曲が持つ特性や自分の曲の好みによって、消化速度に違いが生じる。

今回私がレビューを書くまでに要した2週間というのは絶妙なもので、これより早くにレビューをまとめようとすると、それが目的化されて自分の聴取欲以上にヘビロテしようとして食傷気味になる。しかも今回は新譜に加えてEP1枚とフルアルバム1枚をいっぺんに受け入れたことで、いっぺんに27曲もの新曲が押し寄せている*3。これらの曲をさっさと楽しみ終えてしまったら、また新譜がリリースされるまでの長い時間を悶々と暮らすことになってしまうから、慌てずじっくりと楽しみたい。

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そんなことを考えながら書き上げたレビュー記事はこちら。よろしければそちらもどうぞ。

*1:参考記事を紹介。

yominabe.hateblo.jp

*2:ここでの新曲とは、社会的に新たにリリースされた曲ではなく、自分が新たに聴き始めた曲の意。

*3:「きらめき」「若者たちへ」「our hope」の3枚の合計は29曲だが、「光るとき」と「マヨイガ」はすでにお目にかかっていたのでカウントしない